teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助 youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ]


ナルシスト村

 投稿者:ファンクラ大臣メール  投稿日:2007年12月17日(月)10時33分40秒
  またやりたいなー。

今度は別ボーカリストを擁して。


カキコがないと、広告がうるさいので書いてみた。
 
 

Surfed from Akrika...

 投稿者:Charly Mustangメール  投稿日:2004年12月28日(火)15時18分10秒
  AFRIKAで検索してこちらに流れてきました。アルバム FUNK CITY とライブ音源を所有していますので もし未入手でしたらご連絡下さい。ファンクベースといえば、ナルチョ (CHAOS 他)や
ラリーグラハムの貴重な物も持っていますよ。
 

オレと大臣の歴史 第5回

 投稿者:サイモンガーメール  投稿日:2004年 7月13日(火)11時25分53秒
  順風満帆、破竹の勢いだった85年の圧力団体。
しかし、86年に入り少し様子が変わってきた。
度重なるギタリストの交代、たっちゃんの喫煙謹慎、あるメンバーの情緒不安定などの要因により、一時的にまとまりを欠く状態になっていたのだ。
とは言えそこは彼らのこと。徐々にバンドは仕上がり、新体制を定着させることはできたが、85年当時の勢いは感じられなくなっていた。「こなれてきた」のかも知れない。
衆議院も、ボーカリスト「バサン」のバンド活動に対し、家族からのストップがかかったことで、「ふとんや中田」を新ボーカリストに、更にドラムにオレの同級生、「セイラク」氏を迎えての新体制となり、「変わったオリジナルを演奏する、少し下手なバンド」くらいの位置に落ち着いた。
そんな状況の中、オレと大臣の活動がはじめて交わる。圧力団体と並んで大臣が率いる、女性ボーカルのポップユニット「ザ・スタンダード」への加入を打診されたのだ。
つづく
 

オレとモンガの歴史追随編

 投稿者:ファンクラ大臣  投稿日:2004年 7月13日(火)08時07分28秒
  そんな絶頂期の圧力団体には怖い物はありませんでしたね。正直天狗もいいとこでした。
当時の高校生バンドと言えば、アースシェイカーに44マグナム、レベッカあたりのどんぐりの背比べだったのですが、
そんな中、テントホールのタイバンで初めて見た衆議院には、さすがにビビリました。
まずオリジナルをやっている!しかも破壊的にファンキーだ!今思えば演奏が破壊的だったのだけれど、当時は完全に「やられた」と悔し涙を流しました。これホント。
しかもチョッパーベースと言えばオレ様、と自負していたのに、そこのキタムラナオシというこぐまちゃんそっくりのベーシストはベキベキチョッパーしている!
「カツオ」というサザエさんみたいなひょろ男は、かねがねやりたいと思っていた日本語ラップをさらりとやってのける!それが後の河井克夫だったとは!
おまけに異種ライトハンド奏法と言えばオレ様だと自負していたのに、そこのヒンギー出杉というキーボード弾きはショルダーシンセでライトハンドをやってる!
…まぁシンセでライトハンドやること自体ナンセンスにも程があるのだが…その時は圧倒されましたよ。
そんな「衆議院」という恐ろしい連中がいる、と言うことをその時心に刻み込んだものでした。
その時、ライトハンド野郎同士ということで、初めてヒンギーと口を聞いたような気がします。
そのヒンギー出杉がその後ヒンギー歌麿、ヒンギー・Deeと成長し、1995年にサイモンガーとして再誕生するわけです。
 

オレとモンガの歴史追随編

 投稿者:ファンクラ大臣  投稿日:2004年 7月13日(火)08時05分43秒
  1985年の圧力団体は、自分で言うのもなんですが、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いでありました。
出るコンテスト全て優勝して勝ち進み、中部・東海地方の決勝まで順調に勝ち進んでいきました。
レベッカ、VOW WOW、FENCE OF DIFFENCEらとステージを共有したものです。
次回は全国制覇だとばかり、メンバーの鼻息は荒立っていたものです。
ヤマハのサポートを受け、順調にオリジナル曲を増やしレコーディングを重ね、まさに破竹の勢い。
かごやはうす単独ライブはまさに絶頂、記録的動員と激アツイ盛り上がり、破天荒なステージ、
小麦粉シャンプーも怒られたどころか十分なリアクションをもらえましたよ。終了後メンバー全員で雑巾がけをしましたが。
そこで披露した数曲のオリジナル、モンガの書くようにファンク指向のはしり、この辺の曲がこのバンドのその後の命運を握っていたような気がします。
ちなみに初オリジナルで様々なコンテストを驀進した「たけやぶやけた」は、
ベースのライトハンド奏法など、様々なエッセンスを凝縮したハードロックナンバーでしたが…。

>こうた
すごいな。君はまさにラッキーの申し子だよ。そのまま調子に乗りまくって頑張れ!
でもナルシスト村も忘れないでね。頼むよ。

圧力団体以降のオレの10代は…今後に譲ろう。
 

オレと大臣の歴史 第4回

 投稿者:サイモンガーメール  投稿日:2004年 7月12日(月)11時35分14秒
  大臣率いる「圧力団体」は、その後も勢いに乗り、ついには「かごやハウス」でのワンマンライブを迎えた。高校生バンドがかごやでワンマン、などというのは当時そりゃもう普通に考えてありえないことだったのだ。
この日のライブはかごやハウスの歴史に残るものになった(まあ小さい歴史だけども)。
狭い店内に300人近くの観客がひしめき合う中、圧力団体はオリジナルを大幅増強してきていた。とりわけラップナンバーの2曲「Pressure Power」と「ごきぶりハウス」は、後の大臣のファンク傾向を先取りしたものだった。
ライブ後半、小麦粉にまみれるギタリスト。「オレはこんな汚いのイヤダー」と言ってシャンプーをかぶり全身を洗い出す。ステージ上の全員が小麦粉にまぎれる。
多分後でスタッフにこってり怒られたはず。

--->コータ君
コータ君とこの日記も読んだよ。今はもう横浜に帰って来たの?

いやーすごいな全く。
大事な10代の時間を、ここまで有効に使えている若者がどこにいようか。いやいまい。

オレの10~20代の20年間は、無駄と怠惰の歴史だからな。ほんとに羨ましいよ。
 

見ました?

 投稿者:チョビットT.コーター  投稿日:2004年 7月10日(土)20時18分39秒
  綾戸智絵さんに従う事になり僕もSからMまだ幅広くこなすギタリストに成長していく事でしょう!
1985年大臣とモンガが出会う年に僕は1歳を迎えました。
シュータくんも参加するJaneのライブが関内ストーミーマンデーであるので、
是非お邪魔をしにきて下さい(笑)詳細はこうたのHPへJUMP!!!!!!!

http://www.geocities.jp/soulnote70s/

 

直った

 投稿者:サイモンガーメール  投稿日:2004年 7月 8日(木)14時40分17秒
  どうもteacup8000番台が盛大に死んでたらしい。
まあログ生きてて良かった良かった。
 

オレと大臣の歴史 第3回

 投稿者:サイモンガーメール  投稿日:2004年 7月 6日(火)14時47分10秒
  1985年8月
大臣との再会は、オレが当時組んでいた「衆議院」というバンドの2回目のライブでの事。
この日のライブに対バンで出ていたのが、ファンクラ大臣率いる「圧力団体」である。勿論当時「ファンクラ大臣」と名乗っていたわけではないが、便宜上この連載では「大臣」「ファンクラ大臣」を呼び名として使わせていただく。しかしこの掲示板のID、よく見たら本名だな大臣。良いのか?

我が「衆議院」は、全員素人同然。イベント内で占めるポジションはもうブッチギリで「イロモノ」。
まあいま思うと、ボーカルの「バサン」が即興でアフリカ人の暮らしと悲しみを歌う「原住民」などは、フェラ・クティばりのアフロファンクだったりするが、なんせ演奏が素人なので、音楽としての成立度は限りなく低かった。

そこへ来ると、大臣の「圧力団体」は、高校生ながら確かな演奏力と、ショーマンシップに満ちたボーカリストを擁する非常に完成度の高いバンドで、この日ももちろんメインエベンター。

この時点で彼我の差は大きかったが、やっていることのオリジナル度は衆議院の勝ちだ、と密かに思っていた。大臣の「圧力団体」は、爆風スランプのコピーを中心に演奏していたからだ。大臣作の、とても出来の良いオリジナル曲を1曲持っていたが、そのタイトルからして「たけやぶやけた」であり、いかに爆風スランプを強くフォローしていたバンドであるかがわかる。(※)
「あんなに上手いのに、オリジナルも作れるのに、何故爆風?」という疑問を感じながらも、大臣という男の才能を認識し、勝手に一目置かせてもらう事にした。

ちなみにこの1週間後、別の貸しホールでの衆議院のライブがあったのだが、その帰り道トキワ通りでカツアゲされた。今のところ人生最後のカツアゲだ。
今でも覚えてるし、一生忘れねえぞ、あのサマーセーターのパンチデブめ。買わされた映画の券、帰ってから速攻破ってやったぜ!

(※)圧力団体の名誉の為にいっておくと、当時爆風スランプのコピーバンドは彼らが「全国初」だったらしい。豊川かごやハウスでの圧力団体のライブを、江川ほーじんが見にくる、という噂まで出た。勿論ほーじんは来なかったが。
 

オレとモンガの歴史 その1

 投稿者:ファンクラ大臣  投稿日:2004年 7月 6日(火)11時17分6秒
  その時ハヤシ楽器でチョッパーを決めまくっていたのはよく覚えています。
その頃自分はバイオリンベースと今で言うビザールベースしか持っていなかったので、
ムーンの「ちゃんとした」ベースでチョッパーするのは極めて快感で、
何時間も試奏し続けていたように思います。
ただいかんせん完全に自分に酔いしれていたひとときだったので、
その時にモンガがいたかどうかなんて覚えているわけがありません(笑)。

こうたの日記、見た見た!
評判よいね!
リーダーが一番へぼいバンドにならないように、ガンバリマス。
 

レンタル掲示板
/10